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法律学を学ぶということ

「法律学」を学ぼうとする皆さんへ

 山火 正則(法律学科 名誉教授)

 皆さん、尊厳死という言葉をお聞きになったことがありますか。
人工呼吸器の開発など生命を維持する治療技術の発達は、多くの瀕死の患者の命を救うという優れた成果を挙げましたが、その反面、回復の見込みのない死をまつばかりの患者を意識のないまま生かし続けるという現象を生み出しました。尊厳死は、このような末期状態にある患者に対して無益で過剰な延命治療をやめ、人間としての尊厳をもったまま自然な死を迎えさせようというものです。安楽死が患者を苦痛から解放することを目的としたものであるのに対して、人間の尊厳というものを追求しようとするところに、その積極的意味を見いだすことができます。
 しかし、例えば、人工呼吸器を取り外して死を迎えさせることは、死をまつばかりとはいえ、今なお生きている人を死なせるのですから、人を殺したことにはちがいなく、殺人罪となるのではないかという問題を生じさせます。殺人罪が成立するかしないか、現代医学の発展がもたらした刑法上の新しい問題です。
 これについて、皆さんは、どのようにお考えになりますか。
 横浜地方裁判所は、平成17年3月25日のK協同病院安楽死事件の判決において、意味のない治療をやめて欲しい―人間としての尊厳を保ったまま自然な死を迎えたい、そう思う「患者の自己決定の尊重」、また、そのような無意味な治療まで行うことはもはや医師の義務ではない、そういう「治療義務の限界」を根拠として、治療の中止を許容することができるとしました。そして、その要件として、①患者が回復不能であり、その死期が切迫していること、②治療中止の時に、治療中止を求める患者の任意で真意の意思表示があること―直接これを確認できない場合は、本人の事前になされた意思表示の記録や本人の生き方・考え方などをよく知っている人の推測等から、そのような意思があると確認できること、③医師が適切な治療を尽くし、医学的に有効な治療が限界に達したとされることが必要であるとしました。
 このような考え方は、すでに平成7年3月28日のT大学病院安楽死事件に対する横浜地方裁判所判決のなかにも示され、同じような根拠、共通性の多い要件が挙げられていました。また、K協同病院安楽死事件の控訴審である平成19年2月28日の東京高等裁判所判決も、治療中止が許されるための要件を一般的に示すことはしませんでしたが、死期の切迫・本人の意思表示・治療義務の限界のいずれも認められないとして、殺人罪が成立するとしました。したがって、尊厳死問題は、これに関する初の司法判断である平成7年横浜地裁判決、これをほぼ踏襲した平成17年横浜地裁判決の掲げた治療中止の正当化根拠・要件を手がかりとして、議論されていくことになると思われます。
 皆さんも、お考えになってみて下さい。
 そのとき、ここには、まず人の生と死をどのように考えるかという根源的な問題があることに気づかれると思います。そして、これは、人は人となることは選べないが、人をやめることは選べるのか、また、人は自らの生き方を選べるように、最後の生き方ともいうべき死に方を選べるのかなどという問題へ次々と展開していくことになるでしょう。他方、いろいろ考えているうちに、かりに治療の中止-人を死なせることを許容するとしたとしても、それが死なせてよい命とそうでない命を認めることにつながるようなものであってはならないことに気づかれることになると思います。そのような「生命の質」を認めることは、生命軽視へと連動する恐れがあるからです。かつて、第一次世界大戦後に安楽死に関連して「生存が無価値な生命の毀滅」の正当性が主張され、これが後にナチスの安楽死計画に利用され、精神病者・ユダヤ人殺害命令による数百万という犠牲者を生み出した歴史的事実を忘れることはできません。
 皆さんは、ここにきて、尊厳死問題ひとつを取り上げても、法律学が単に法律の条文を知っていればこと足りるというものではないことに気づかれることと思います。
法律は、人々が平和で安全な生活をするために、他の人とともに社会生活をする人間相互の行為を規律するものです。したがって、法律をよく理解するためには、人間と社会についての幅広い理解が必要であり、これなしに法律を理解することも実際に運用することも難しいだろうと思います。大学においては、このようなことに配慮して、法律学の教育が行われていますが、これを学ぶ学生の皆さんにも、こうしたことへの積極的な姿勢が強く求められます。そういう意味において、人間と社会に強い関心をもっている人は、法律学を学ぶ一つの条件を満たしているといえるかもしれません。法律から人間と社会をしっかり見つめ、その広い視野から、そして確固たる基盤のうえに法律問題に取り組む―この循環こそが法律学を学ぶために本当に必要なことであり、法律をよく理解する大きな原動力となるはずです。
  法律学を学ぶ皆さんには、このような研鑚を積み重ねることによって、人々の平和で安全な生活の実現に貢献する力を身につけ、さらに人間としての在り方・生き方を学び・求めて、豊かな人生を築いていって欲しいものです。

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