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在外研究レポート

在外研究記inフランクフルト大学

公文 孝佳 准教授

昨年3月末より一年間、ドイツはフランクフルト大学で在外研究を行う期間を得た。以下、夏休みの小学生の作文もどきであるが、思いつくままにその記憶を記録しておくことにしたい。

フランクフルトでは、私が専攻している刑事訴訟法の研究者ではなく、法制史の研究者であるアルブレヒト・コルデス教授に留学を引き受けてもらった。これは博士課程・助手時代を過ごした北海道大学の田口正樹教授のお導きによる。札幌にいた時期に作成した博士論文では、刑事手続の歴史に触れざるをえず、その過程でまだこの分野では未開拓の領域が多いことをその時に識った。その後も、ドイツにおける刑手続法史には関心(というよりも執着か?)を持ち続けていた。それゆえ、刑事法史の勉強ができる大学に留学をしたかったのであるが、刑事法史を手掛ける研究者はドイツでもそれほど多くない上に、ある方に一度断られた経緯もあった。助手時代を通じてお世話になった北大の田口正樹教授のお勧めもあり、コルデス先生に稚拙な「ドイツ語もどき」で恐る恐るメールを送ったところ、幸いなことにお引き受けいただけるという返事をもらえた。こうしてやっと、在外研究が実現することになった。フランクフルトにはドイツ国立図書館(DNB)もあり、出張の折などに利用していたこともあり、蔵書豊かな図書館が二つもある土地にいけるのかと心は躍った。

3月の震災の影響もあり、騒然とした中で慌ただしく出国した。大学のほど近いゲストハウスに入居し、外国語学校と大学図書館・国立図書館に通う日が始まった。ドイツ語にはとにかく難渋した。最初の洗礼は外国人登録局である。旅装を宿舎に解いた後、次の日にはさっそく出かけたのであるが、なんと門前払い。パスポートも見てくれねば、いわんや持参した書類など見てくれるわけでもない。外国語学校で、筆談をも交え、クラスの先生にお話しすると「あそこは特にひどい」としかめっ面。結局、後二回の門前払いを経験し、二度目に「何が必要ですか」と聞いたときに、うすら笑い付きで「通訳」と言われたときに、独力で解決することを放棄し、コルデス先生の秘書の方に御出馬を願った。すると、すんなりと話は通り、あっという間に次のステップを予約でき、1ヶ月後ではあるが、外国人登録が完了。担当の方には「いったい何が問題だったの」と聞かれる始末である。まあ問題だったのは私の語学能力だったのだが。言葉には最後まで苦しんだ。今でも出来の悪さと、上達をしなかったことに「私はいったい何をしていたのだろう」と恥ずかしくなる。

自分の勉強に関してであるが、糾問手続における罪体(corpus delikti)概念の調査がそもそもの目的であった。わが国の自白法則では、自白単体では証拠として使えず、補強証拠が必要とされ、そしてその範囲が問題となる。しかし、「罪体」概念すら共通理解がないのに、それを補強する範囲は「実質的に」考察するという謬見がまかり通っている。あまつさえ、補強の範囲は自由心証に委ねられているという、凡そ思考することを放棄したとしか思えない見解すらある。(自由心証主義の例外たる補強法則の補強の範囲を決めるのに何故「自由心証にゆだねられている」という立場が取れるのか…理解できない。)罪体概念自体は、拷問の存在故にわが国論者がその存在を批判的にのみとらえた糾問手続のものであるが、その糾問手続における罪体の概念は極めて厳格に解釈されていたし、また運用もされていた。これに関して、資料収集・分析を少しずつ行った。これは現在も継続している。

自分の勉強に関しては一つの出会いがあった。同僚の方のお導きで、DVに関する研究グループに入っていたのであるが、その分野で何か日本の議論・制度設計に参照できるものはないかと探しているうちに、警察法上の犯罪予防措置に行き当たった。日本では戦前の行政検束・違警罪即決例の反省から、戦後の警察官職務執行法の制定時に「予防的措置」の範囲は大幅に制限された。他方、ドイツでは各ラントの規定する警察法上の予防措置はかなり詳細な規定がある。特に関心が惹かれたのは、DV防止法である暴力保護法がドイツで制定されたとき、警察法上の規定も大幅に改正されたということであった。わが国の刑事法学では、「犯罪予防」の観点から、警察活動の範囲を広げることには相当の警戒感がある。(というよりも嫌悪感か。)しかし、危険判断を厳格に行うこと、当該措置を適用する場面を限定することで法治国家原則をクリアしているドイツの手堅い手法は、わが国においてもモデルとなりうるのではないか、また、警察官職務執行法の立法過程における「犯罪予防措置」の捉え方などを精査する必要性に気づかされた。

以上のほか、ドイツ語のトレーニングも兼ね、コルデス先生の法制史の講義を聴講した。前期が憲法史であり、後期が刑事法史であった。時の政治情勢などとの関連を十分に学生に意識させながら、立法過程を丹念に解きほぐす授業は、それを「聴く」ための準備も含め、私にとってはかなりの難事であったが、面白いものであった。特に、三月革命との関連について先生が大幅に時間を割き、丹念に説明してくれたことで、知識の穴が埋まったところも多々あった。

そのコルデス先生は多忙を極めており、なかなか会えないこともあったが、授業の後には東その中でも会う機会をたびたび作ってくれたのがありがたかった。帰国前の最後の面会時の言葉が私の宿題となった。「日本からいろいろな人を引き受けたが、帰国したらそれまでという人が多い。それが残念だ。せっかくここで会えたのだから、帰国したら頑張ってドイツ語で日本の刑事法史の論文を書きなさい。そしてまた来なさい。」

以下、自分の勉強以外のことを書いておく。日々の生活からして割に大変で、何せ水は買わねばならない、物を買おうにも言葉が出てこない…etc. 印象にのこったものを書いておこう。最初の買い物は「修正液」であったが、無論「修正液」をそのまま訳しても通用するわけがない。「インクを消すための液体」という説明をどうにかしてやっと購入。次はコーヒー店での出来事である。ネルドリップで僕はコーヒーを飲むのであるが、豆を売っている店では挽き具合がどうしても細かい。それだと布に詰まってしまう。そこで「すこし荒目に挽いてくれ」といったところ、それはよかったのであるが、親切な店員さんは「どうやって淹れるんだい」と聞く。そこで「ネル布を使って淹れる」といったら…相手がきょとんとした。その瞬間私も固まってしまった。咄嗟にこういうことの説明が私にできるはずがない…と、店の女性主人が間に入ってきた。「わかった!あなたは袋(Tute)を使うのね」。ネルドリップ用のネル布が「袋」か…いわれてみればそうだ…これでやっと満足のいくコーヒーが飲めるようになった。

折角、ヨーロッパ有数のハブ空港のある都市にいたのに、旅らしい旅はほとんどしなかった。この点には今でも多少の後悔がある。同僚の方でアイスランドに旅した方がいて、その話をうらやましく思ったことがあった。僕はその向こうを張って、スバールバル諸島のスピッツヴェルゲンにいくことを考えた。しかし、北極圏の島ということもあり、飛行機は二回の乗継の上に3日に一便しか飛んでいなかった。割と真面目に通った外国語学校を休みたくなかったということもあり、これは断念した。結局、地図とコンパスを片手にフランクフルトの街や郊外を歩きまわることに終始した。フランクフルトは高いビルやテレビ塔があり、それが地図にも記載されている。だからコンパスの使い方を訓練するのには格好の街である。行き当たりばったりで街中や郊外を歩いてはランドマークとなる建物をつかってコンパスで自分の位置を測る、その建物の高さが分かっている場合は角度を測り建物からの距離を概算で出すという遊びを飽くことなくやっていた。それが高じて、また、「他人があまりやらないこと」をやりたくなり、昨年の11月、助手時代の後輩が留学しているハイデルベルクまで徒歩で旅した。自転車道をリュックを背負って一泊二日の行程で歩いた。ハイデルベルクで後輩と遊んだ後は、二泊の後マンハイムまで再び歩いた。ドイツは日本と違い、車道と並行して「常に」歩道があるわけではない…そんなことも気づかなかったために、道が突然なくなる(!)という驚きもあったし、真っ暗な道‐壊れた教会や墓地公園を通る‐を2・3キロほど歩く羽目になるなど、すったもんだもあった。しかし、出張などに際して乗ったICEからの車窓の眺めのなかに自分が溶け込んでいることが愉快であった。(写真は歩いた場所の風景である。)

渡航前には法科大学院との兼担業務もあり、大変慌ただしかった。しかし、外国での一年間という時間は自分をいろいろな意味で再生させる機会となったとも思う。後は、年相応の業績を上げ、応分の役割を果たしていくだけである。その意味で、私にとってドイツでの一年は出直すための時間であった。

ドイツでは小さな手帳に毎日の日記をつけた。帰国直前(それも飛行機に乗る40分ほど前か)に走り書きで書いたのが「もう一度来る」であった。3月23日、帰国。

道中マンハイムへ行く途中、こういう道を歩く旅であった

道中マンハイムへ行く途中、こういう道を歩く旅であった

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