教員・研究紹介

在外研究レポート

カリフォルニアでの在外研究をおえて

田山聡美 准教授

 2012年3月末から1年間、米国カリフォルニア大学バークレー校「法と社会」研究センターの客員研究員として、在外研究に赴く機会を与えていただいた。
 今回の在外研究は、私にとっては初めての留学であったうえ、まだやっと小学生という2人の娘を連れて行ったこともあり、自分自身の研究に割ける時間は限られており、なぜもっと早い段階で(まだ学生のうちに)、海外に出て行かなかったのか、という思いを非常に強く持った。以下、海外生活の体験談をつづる中で、少しでも多くの学生が海外に興味を持ってくれれば幸いである。

 私の滞在先であったバークレーは、全米の中でも最も進歩的といわれる町であり、世界中からの移民や留学生によって多彩な文化が持ち込まれ、その町に住んでいるだけで世界旅行をしているのと同じだ、という表現を聞くほどである。実際、大学周辺には、様々な国のレストランが軒を連ねている通りがあり、その多彩ぶりは東京の比ではない。
 そのように外国文化に対する寛容性の高い地域であったこともあり、我が娘達が入学した現地の小学校も、他国から来た友達を排斥するどころか、異文化に対する強い興味をもって迎え入れてくれ、何かといっては日本の文化を紹介せよという課題を出され、親子で奮闘したものであった。子ども達は、はじめのうちは全く英語が分からず、相当な苦労をしたはずであるが、そのように温かく迎え入れてくれる雰囲気の中で、言葉は通じずとも、しっかりと心を通じ合わせて、いつのまにかたくさんの友達を作っていた。

 日本でも、最近は国際交流ということが一つの流行りのように言われるが、異文化に対する垣根の高さはまだまだ非常に強いと感じる。真の国際交流というのは、言葉が通じるとか通じないといった問題以前に、お互いを排斥し合わず、お互いを理解し尊重しようとする姿勢そのものから始まるのだと実感した。
 また、外国に出て行って強く感じたのは、まるで自分が日本人「代表」になってしまったような妙な感覚である。つまり、相手が自分以外の日本人を知らないとすれば、相手の人にとっての日本人像は、イコール自分になってしまうのである。その意味では、自分が日本文化の担い手として恥ずかしくないだけのものを有していなければならないと痛感した。とりわけ、アメリカ人は食べることが好きで、何かと言っては食べ物を持ち寄ってパーティーをする。小学校も例外ではない。学期末や、何かの記念日などは、日本のように式典を行うのではなく、食べ物を持ち寄ってクラスでパーティーをするのである。もちろん、外国から来ている人たちは皆、自国の食べ物を自慢げに持ち寄る。私もたった1年のうちで、何度パーティー用の料理を作ったことか。一番評判が良かったのは、ちらしずしのようにきれいに飾った「いなりずし」だった。カリフォルニアではとりわけ寿司人気は高いし、「いなり」という日本独自の食べ物も紹介できるうえ、錦糸卵や花形に切った人参などを飾ろうものなら、芸術作品だとほめちぎってくれる。文化交流の一番の近道は、言葉よりも料理かもしれないと思ったくらいである。是非とも留学前には何か少しでも日本料理を作れるようになって出かけて行ってほしい。もちろん、文化交流のためだけでなく、自分の日常生活のためにも。

 そのような文化交流を通して強く感じたのは、自国を愛することの大切さである。自国を愛し、自国に誇りを持たずして「日本人代表」は務まらない。しかし、日本人の多くは、自国を愛することに妙な抵抗を持っているように思われる。たとえば、建国記念日に「日の丸」の旗をふって日本バンザーイといってお祝いをする気にはなかなかなれない。しかし、アメリカでは、7月4日の独立記念日には、たとえば、地域の公園に移動遊園地が設置されたり、道行く人が星条旗をもって盛り上がっていたり、何しろ子どもから大人までが心底楽しむお祭りになっていた。小さい頃から、あれだけ楽しい休日を毎年楽しみにしていれば、愛国心も自然に高まるに違いない。
 愛国心といえば、私の滞在中、幸運にも大統領選挙を経験することができた。もちろん選挙権はないが、周囲の人々の盛りあがり方や、テレビでの取りあげ方などを見ていると、日本の総理大臣とアメリカの大統領が同じく国のトップとして同等の扱いを受けることが不思議に思われるほど、アメリカの大統領は国民から愛されていた。もっとも、それは私の滞在地が民主党の強い土地柄だったせいもあるだろうが、オバマ大統領の再選が決まった瞬間、夜中であったにもかかわらず、近所のあちらこちらから歓喜の叫びが聞こえてきたことが忘れられない。

  自国を愛し、自国に誇りを持つことと同時に、いやそれ以上に大事なのは、自分自身に自信を持つことである。現地の小学校教育を通して、むこうの子ども達の自己肯定感の高さを強く感じた。もちろん、むこうの小学校のすべてが日本より優れているなどと感じたわけではないし、眉をひそめたくなるようなことも多々あった。しかし、これは見習うべきだと感じたのは、本当に一人ひとりの個性を重んじているところである。学期末に行われる先生との個人面談でも、日本であれば、まずその子の苦手な部分を指摘し、それを克服すべく指導をするが、むこうの先生は(もちろん個人差はあるのだろうが、私が接したどの先生もみな)、苦手分野の克服を指導するよりも、その子の良いところをほめちぎる。みんなが粒ぞろいになることを目指すのではなく、「みんなちがって、みんないい」のである。そのようにして、自分に対する肯定感を強く持つようになれば、多少の壁にぶつかったり、失敗をしたりしても、自分を信じて立ち直れるのではないだろうか。我が身への戒めも含めて、自分自身を愛し、自分を肯定することの大切さを力説しておきたい。
 外国に出るということは、外国を知ることになるのはもちろんのこと、むしろそれ以上に、自国のこと、そして自分自身のことを知る良いきっかけになるのだということを、身をもって感じた。言葉に対しても文化に対しても柔軟性のある若いうちに、是非とも外に飛び出して行ってほしい。同じ1年、同じ1か月でも、ただ漫然と日本にいるのに比べて、吸収できることの質も量も大きく異なるはずである。

朝日を浴びるキャンパスの時計台。

朝日を浴びるキャンパスの時計台。

ロースクール棟のテラスからの眺め。右端にゴールデンゲートブリッジが見える。

ロースクール棟のテラスからの眺め。右端にゴールデンゲートブリッジが見える。

夏の旅行で訪れたユタ州にあるブライスキャニオン国立公園。圧倒的な国土の広さを実感せずにはいられない迫力。

夏の旅行で訪れたユタ州にあるブライスキャニオン国立公園。圧倒的な国土の広さを実感せずにはいられない迫力。

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