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レポート

自由ハンザ都市ハンブルク留学記 清水耕一教授

2016年4月から1年間、マックスプランク外国私法・国際私法研究所に籍を置いて、研究生活を送らせていただいた。同研究所は、ドイツの北部の港湾都市で、かつでのハンザ同盟の有力な都市であり、今もその面影を残している商都ハンブルクにある。そして、研究所のある地区には、ハンブルク大学があることから、法学部での海事法や保険・銀行法といった講義も教授の了承を得たうえで聴講させていただいた(ドイツでは研究所も大学も、学費がかからないので、学生にはとてもフレンドリーである)。

この聴講の機会を得たことが、留学の大きな収穫であった。研究成果は今後少しずつ発表していくとして、まずは自由ハンザ都市ハンブルクでの自由な空気を吸いながら過ごした研究生活の記憶を辿る。

(1) 今回の在外研究の特徴

私が大学院生であった1997年から1999年までの2年間、ドイツ南部、イン川とイルツ川がドナウ川に合流する町にあるパッサウ大学に留学して以来、このたび20年ぶりに留学の機会を得た。

前回は、学生として同年代の学生との交流もできたが、身分が不安定で、お金も知識もなかった。今回は、金銭的な面での不安はなかったほか、当時よりも専門分野の知識は若干増えている(と思われる)ので、講義について日本との比較をしながら聞くことができ、文献も読むことができたのではないかと思われる(?)。また、これまで、1~2週間といった短期でドイツに調査研究に行く機会を何度か得てきたが、1年といった長期で滞在する場合、資料収集のみならず、大学の講義を聴講でき、各科目・分野の全体像をつかむことができた。

さらに、シンポジウムや海事セミナーなど現地に滞在しているからこそ出席でき、そこで人脈を得ることもできた。海事セミナーは、大学の教授が取材しているもので、本来は弁護士が有料で参加するところ、私は講義の一環として無料で参加さてもらった。ちなみに、弁護士は、このようなセミナーに参加することで、出席証明書をもらい、その分野の専門弁護士であることをアピールしていくそうである。

(2) ハンブルク大学の講義

今回の在外研究のおもな目的は、ドイツの運送・海商法の論点を調査・分析し、わが国の法律状況と比較・検討し、運送・海商法の理論的な体系化をめざすというものであった。個別の論点というよりも、全体像を大掴みしておきたいと考えていた。どのように研究を進めていくべきか模索していたが、ハンブルク大学の講義を聞きに行くのが効果的であることに気が付いて、出かけていくことにした。

ハンブルク大学法学部には、5セメスター以上の学生向けに重点講義科目群があり、海法関係の中では、運送法、海商法および海上保険法、商法関係の中では保険法(一般的な講義と事例を扱う講義)および銀行法に出席した。ドイツ人の若い学生に混じって受講したが、70歳過ぎの元裁判官や子育てが落ち着いた女性もいた。1セメスターの段階では1000人くらいいるらしい法学部生も、徐々に別の町に行くものが増え、私が出席した科目の学生数は、おおよそ15人から20人くらいであった。ちなみに、ドイツでは退学や転部など、法学が性に合わない学生は、「別の町に行く」という表現で、さっさと別の進路を選択する。もちろん、ドイツでは大学進級し、司法試験にまでたどり着く学生はエリートなので単純な比較はできないが、本学の留年率に鑑み、早い段階で別の進路を選択し易くする社会の仕組みが、社会の損失を少しでも防げるかもしれないと感じた。

さて、ハンブルクは、港湾都市であり、海事弁護士が多い。実は大学の上記海事法関係の講義は、ドイツにおけるこの分野の論文で名前をよく見ていたDieter Schwampe教授とKlaus Ramming教授という2人の弁護士が講義を担当しており、信じられないくらい貴重な機会を得た。もっとも、彼らのドイツ語は、とても早く、抑揚もあまりないので聞き取りづらかった。ドイツ人のジョークについていけなかったことについては、そもそもセンスとして理解できないので構わないが、実務的な観点からの話や、レジュメがあるにもかかわらず、どこの話をしているのか見失うときもあった…。確かな成果としては、レジュメをもらってきたことであろう。

他の教授がパワーポイントで膨大な量のスライドを映していくのに対して、Ramming教授は紙でレジュメを配る唯一の人であった。議論となるところでは、詳しくは彼の論文を読むように指示していた。
印象的であったのは、海上運送法の国際ルール競争で敗れたハンブルク・ルールズが優れた内容であると語っていたことである。海上運送法の国際ルールとして、海上運送人の航海上の過失免責を認めるといった海運国側に有利なルールであるヘーグ・ヴィスビー・ルールズに対して、それを認めない荷主国側に有利なルールであるハンブルク・ルールズが対立している。わが国も批准しているヘーグ・ヴィスビー・ルールズは、実務的に広く普及している。ハンブルク・ルールズは、海のないオーストリアは批准しているが、ドイツすら批准しておらず普及していない。近年、海運国と荷主国の対立を解消すべく新たにロッテルダム・ルールズが提案されているが、ヘーグ・ヴィスビー・ルールズの優位に変化はない。
Ramming教授は、ハンブルク・ルールズの策定に携わり、(彼によれば)その内容が優れているにもかかわらず、採用されていないことに憤りを感じていた。私はこれまでハンブルク・ルールズの内容について、関心がなかったが、今後研究の素材として取り入れてみたいと感じた。

Schwampe教授は、ドイツ海商法改正において、立案担当者が一目置く存在として、法律案の問題を指摘してきたそうである。ちなみに彼は若いころ日本学を勉強していたそうだ。彼は弁護士になって大成功をおさめたが、当時は今と違い日本が多くの優秀な学生を引きつけていたのであろう。日本の存在感の低下はあらゆるところで感じた。さて、彼は講義資料として、300頁以上ものパワーポイントを本学でいうところのdotCampusにアップしていた。講義の構成は、条文に沿って解説していくという、いわばコンメンタール方式であった。講義のフォローの必要から、これまで辞書のように必要な個所をつまみ食い的にしか読んでこなかったコンメンタールについて、教科書のように全体を通して読むことに抵抗がなくなった。講義の中では、重過失概念について、運送法と保険法との比較は興味深かった。

(3) ハンブルクでの生活

長期の滞在であったので、家族を連れての研究生活であった。生活を維持する労力もあったが、家族共々とても楽しく過ごすことができたことは有意義であった。
滞在許可の手続きは、日本での準備ほど、現地ではさほど苦労せずに済んだが、いざ許可証を受領に行く際、乗っていたバスがトラックと出合い頭に衝突した。幸い誰もケガはしなかった。

住居の賃貸借契約では、ときどき家主側の人間が家の使い方をチェックしに来た。テニスコートほどの庭の手入れも契約上の義務であった。4月からの半年間は草木との闘いであった。しかも、モグラが芝に穴を開けるので、私がモグラを飼っていたわけではないにもかかわらず、退去時に庭の修復費用を負担させられた。
銀行口座の開設は各種の支払に不可欠であることから人権問題に関わる。それにもかかわらず、口座を開いたら、銀行口座管理手数料が毎月1000円くらい取られる。わが国の銀行では、まだ口座管理手数料をとられていないが、いずれわが国でも口座管理手数料が取られるときが来るかもしれないと感じた。

各種の手続き・連絡にインターネットが不可欠になっている。ドイツでも急速にインターネットが普及しているが、Wifiのカバーエリアは追いついていないのか、その境目に位置した我が家では、インターネットが使えるのかはその日の電波次第であり、かつ、毎月ごとのプリペイド契約であったが、スムーズに開通したことがなかった。ここで白状すれば、私が住んだのは、ハンブルク市の隣町のハルシュテンベックであった。そのため、スーパー・マーケットは近くになく、家族を賄う量の食料の買い出しは、土曜日に半日がかりであった。

子供は日本人学校に入れた。現地に進出している日本企業が資金を出して設立したという。日本企業が海外の日本人の教育に貢献していることに深く感謝するものである。もっとも、現地での日本人社会における日本企業の存在感は大きかったが、日本企業の撤退や拠点の移転などからか、10年前くらいと比較して、生徒数は半減し、昨年度からは幼稚部から中3まで100名ほどのアット・ホームな学校になっていた。日本企業の存在感が世界で低くなっていることの表れであろう。

(4) さいごに

学生の皆さんは、身軽なうちに短期でもいいので、海外で学ぶという経験をしてもらいたい。
そして、今回このような在外研究の機会を与えていただいた、神奈川大学の関係者、同僚、スタッフに心から感謝申し上げたい。

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