研究Research

 
教員の寄稿

ロンドンで一年間過ごして 柴田直子准教授

2013年4月から1年間、ロンドン経済大学(LSE)に在外研究に行かせていただいた。1年間、イギリスの地方自治について学びながら、ここ数年の自分の研究テーマである、自治体における法曹有資格者の役割に関する調査を進めた。


 これまではアメリカの制度を中心に研究してきたため、イギリスは文献で見かけるだけでの、ほぼ初対面の国であった。1年間滞在してみたところで、この複雑な国を理解できるはずもないのであるが、ロンドンの人々や街並みに触れ、住居や四季など体験したことで、これから先、研究や研究以外で、この機会がなければ気付けなかったであろうことに気付くことが出来たら、と願う。さて、研究の成果については、別の場所で報告させていただくこととして、ここでは、そんなイギリス初心者の「イギリス体験記」を書かせていただきたい。

(1) ランダバウト

ロンドン生活の中で、何より苦手で、もっとも印象に残っているのが「ランダバウト(round about)」である。苦手なことを真っ先に挙げたのは、これがイギリスを象徴しているような気がしたからである。


 「ランダバウト」というのは、いわゆる環状交差点のことで、信号がなく交差点の真ん中が円形のロータリーになっていて、その周りを、(左側通行のイギリスでは時計回りに)自動車が通行する。日本でも最近導入されているらしいが、イギリスでは、信号のある交差点は非常に少なく、ほどんどがランダバウトとなっているようだ。標識に書かれたGIVE WAYとは、「道を譲れ」という意味で、先にランダバウトに入っている自動車が優先するというルールである。そこで運転するときには、いつも自分の右にだけ気を付け、通行中の自動車を通してから交差点に入って行けばよいことになる。
 

 とはいえ、このランダバウト、実際は、状況判断が結構難しく、その中をドライバーたちは、アイ・コンタクトと阿吽の呼吸で、エイッと決断して交差点に入っていかなければならない。慣れない日本人にとってはとても疲れる。
 

 ロンドンで借りていた我が家も、家を出て30秒のところにある最初の交差点から、ランダバウトの連続であった。信号という「規制」に従順に従っていさえすれば目的地に到着できる日本とは違って、ロンドンでは、家から一歩出れば、自己決定と自己責任の連続であった――正確には、私は助手席なのだが。でも、「こじつけ」というわけでもなく、こんなところに、何やら自治の伝統を感じたりする。だとすれば、信号ボケした日本人の住民自治は・・・?

(2) 緑地と街並み

大好きだったのは、「オープン・スペース」といわれる共同の緑地。駅まで10分程度だった道のりの半分が、細い川を挟んで広がる、一面芝生の緑地帯だった。子どもがサッカーをしたり、犬を走らせ、遊ばせていても、全く迷惑がられない。ジョギングする人、お散歩する高齢のご夫婦、走りまわるリス。こんな光景を見ながら駅まで歩くのがとても楽しかった。


煉瓦を基調とするセミデタッチド・ハウス(1棟の家屋が真ん中の壁で2件の家に分けられているタイプの家)が建ち並ぶ、典型的なロンドン郊外の統一感のある街並みも大好きだった。家の設計図はもともと2~3パターンしかないに違いない。煙突の立つ似た形状の家々が、外壁には煉瓦を使い、前庭には花を植え、裏庭には芝生を植え、同じように並んでいる。しかし、同じ古い外観を残しながらも、実は、1件ごとに個性がある。裏庭を半分つぶして増築したり、3階や屋根裏部屋を付け足したり。家の中も、モノトーン調の完全にモダンな内装から、機能は現代的でハイテクながら、アンチークな家具は昔のまま、など持ち主(家主)のセンスの見せ所である。

(3) 「三匹の子ぶた」

ところで、ロンドンの家といえば、「コペルニクス的転回」は大げさだが、それに近いショックを受けたのが、夜、絵本の「三匹の子ブタ」を読み聞かせしているときだった。「三匹の子ぶた」は、イギリスの民話がもとになっているという。絵本を聞いていた子どもが、ある晩しみじみと「イギリスの子供たちは、煙突のある煉瓦の家で『三匹の子ブタ』の絵本を読んでもらっていたんだね」、と述べた。あれ?これは、そんな上から目線の童話だったのか。煙突のない木の家で育った私には、なおさらショックなのですが・・・。

(4) モザイク

イギリスに滞在する間、「モザイク」という言葉を、新聞、日常会話、専門書の中など至るところで耳にした。「モザイク」とは「継ぎ接ぎ」というような意味で、全面改正をするのではなく、不具合のあるところだけをその都度、切り取って修正した結果であり、イギリスを象徴するもう1つの言葉のように思えた。地方自治制度も学校教育制度も、その代表例であろう。それから、もちろん、イギリスの家もその1つである。借りて住んでいた我が家も、20世紀の初めごろに造られ、外観はほぼ変えられていないが、間取りや内装は家主や賃借人が変わるごとに微修正されてきた。古い家をその歴史を慈しみながら、必要な箇所だけに手を加える、イギリスの美学であろう。


 その片鱗を垣間見たのが、忘れもしないバレンタインデーの晩であった。真夜中の2時、我が家の2階のバスルームの床が落ちた。
 バスルームから変な音が聞こえてきたので起きて見に行くと、特に何の問題もない。下から聞こえているのかな、とちょうど真下にあるキッチンを見に、階段を降りていった。すると、まさに、見ている前で天井に穴が開き、滝のように水が降ってきたのだ。そして、あっという間に部屋中を水浸しにしてしまった。お風呂の水道栓への接続箇所が故障し、(おそらく数日前から)漏れた水が天井裏にたまっていたのが、ついにその重みで、天井を破ったのだった。
 

 1秒早く1階に降りて、台所の中まで足を踏み入れていれば、頭から大量の水を浴びることになったであろう。1秒遅く1階につけば、どうして台所が水浸しなのか理解できなっただろう。そういう意味で、我々は、かなりラッキーであった。しかも、その敗れた天井は、奇しくも「ハート型」。
 真夜中とはいえ、家主さんに電話すると翌朝一番に、お抱えのエンジニアを連れて来てくれた。天井を外し、風呂に新しい部品を入れ、電気の配線を確認し、天井裏の水を乾かし、天井板の割れた部分に新しい板をはめ込み、継ぎ目も分からなくなるまで白いペンキを塗りこんで、3日程度で何事もなかったかのようにしてしまった。こんなときにも、使えるものはできるだけ生かしながら、必要な部分だけを新しく取り替える。
 

 こんな「継ぎ接ぎ」が、調査を行った地方自治のいろいろな制度の中に見られた。但し、法律の方はあまりきれいに継ぎ接ぎされていないので、その間を埋める弁護士さんの役割は熟練エンジニアと同様に大きそうである。

(5)バリアフリー

最後に、心から感銘を受けたのは、地下鉄での経験。2人の子供(内1人はベビーカー)を連れて、親子3人または4人であちこちに出掛け、1年間で何十回と地下鉄を利用した。が、その中で、1回を除く全てにおいて、座席を譲ってもらった。(ちなみに、譲ってもらわなかった1回は、ロンドン塔観光からの帰り道。車内のほとんどが我が家と同様、小さな子連れの家族であった。)年齢も男女も民族も問わず、サラリーマンはもちろん、別のところで出会ったらちょっと怖そうな移民系のお兄さんも、別のところで出会ったらちょっと怖そうなキャリアウーマンも、子どもを見るや、さっと席を譲ってくれた。しかも、子どもの数ではなく、家族全員分。ロンドンの地下鉄は、バリアフリーが全然進んでいない。しかし、子どもを抱き、ベビーカーを畳んでエスカレーターに乗ると、必ず、誰かが手を貸してくれた。これもまた、イギリスらしさだと思う。


 イギリスの熟達者にこんなイギリスの感想を述べると、「まだまだ、分析が甘いよ」という顔をされる。泣いたり怒ったりもいろいろあったけれど、でも、やはり別の国に行き、研究をし生活をする機会をいただき、自分なりにいろいろな感想を持てたことは本当に有難いことであったと思う。


 最後に学生の皆さんに一言。大学には短期、長期の留学制度があります。ぜひ、挑戦してみて下さい。そして、イギリスに行った人、ぜひ、若者目線での発見を教えてください。

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