神奈川大学法学部
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学窓からの社会時評

諸坂 佐利 准教授

  昨年から今年にかけてのヒット・スイーツといえば、やはり生キャラメルであろう。先日、学会出張で北海道大学に訪れる機会を得たので、それでは私もと、札幌駅や空港の“あの”お店を訪れてみたら、なんと長蛇の列。ある程度の予想と覚悟はしていたものの、さすがにキャラメル欲しさに1時間以上は並ぶ気がしない。
そこで、花○牧場の商品は、後日ネットで・・・と思い、北海道庁のアンテナショップ「北海道どさんこプラザ」に行ってみた。そこで驚いたのが、生キャラメルの“類似品”の多さ。なるほどというか、さすがというか、いろいろなデザインで、種類も豊富。それに値段もそこそこ、いやキャラメル10数個で1000円近い値段はやはり“いい値段”というところ。それでも2時間近く並ぶよりはということで、ふと目についたかわいらしいパッケージの「ノースプレインファーム」の商品をいくつか購入した。家族の喜ぶ顔を眼に浮かべながら。
  さて、話はかわって、帰りの飛行機の中。この日の朝は、成田空港で貨物輸送機が着陸に失敗したという悲惨なニュースを見ていたもので、心なしか不安な心持ちではあったのだが、キャビンアテンダントさんから差し出された数冊の新聞・雑誌の中に「北海道生活」(2009年2月号)というものがあり、羽田に帰る飛行機の中で北海道の魅力を語る旅の雑誌かとも思いながらも、ぱらぱらとページを捲っていると、その号の特集が「生キャラメルの郷オホーツク」。この記事に目を通して驚いた。なんと生キャラメルを最初に開発・発売したのは、いま生キャラメルの代名詞とも言われる“あの”会社ではなく、私がたまたま偶然にも手にした興部町(おこっぺちょう)の「ノースプレインファーム」なのだ。この記事を読んで私は次の3つのことを考えた。
  1つ目。グルメにかけては、さすが鼻の利く私。私の場合、旨いものから寄ってくる。
  2つ目(ここからは少々真面目な趣きで)。なんで北海道庁は“元祖”生キャラメルということをもっと積極的に、効果的に宣伝しないのだろうか。
  そもそも行政が行うアンテナショップとは、その自治体の特産品を紹介しつつ、地域活性化、まちおこし、観光促進、自治体の現金収入などを目的に設置、運用されているものである。東京にも、各自治体のアンテナショップは枚挙に暇がない。しかしこれら地域振興に資するためには、単に店を出せばいいというものではない。ましてや商品を陳列すればいいということでもない。やはりそこには、生産者の苦労や、商品に託した熱い思いというものを、また地元ふるさとがもっともっと元気になってほしいという希望(のぞみ)を、店員は生産者になりかわって売る、自分の商品のごとく声を嗄らさなければならないのではないか。私は「どさんこプラザ」で、「花○はすごい行列でしたよ。ここでは売らないのですか。」と店員に話しかけたが、特にこれといったセールストークはなかった。私だったら「実はお客さんが買ったこっちのほうが元祖で、あっちは実は“類似品(アトカラ)”なんですよ」とか、「すっごくおいしいですよ。」とか、すかさず言うに違いない。
  セールストークがなくとも、商品の前に生産者の顔を載せるとか、「“元祖”生キャラメル」や「中を見てビックリ!四つ葉のクローバー(四つ葉のクローバー)」(←実際買って食べてお確かめください。ちょっとお洒落なサプライズ!!)などのポスター・チラシなどのキャッチーな文句があってもよさそうなもの。なるほど行政が絡むと売れるものも売れない、類似品が元祖になりかねない。アンテナショップは、おもに生産者または企業からの直接的な委託販売がメインである。要するに場所を提供しているだけなのである。したがって売り残った商品は返品すればいい。したがってアンテナショップ自体はさほどの赤字にもならず、また前年比の売上を下回っても、それは商品の問題であって、店の問題ではないとされがちである。売上に対して店(店長)はさほどの責任も問われず、また自覚もないであろう。ましてや売上を是が非にも上げなっきゃとも考えないのかもしれない。たしかに行政のやること、中立性・公平性は担保されなければならない。しかしそうであるなら、そもそも特定商品だけを陳列・販売するという行為そのもの、さらに付け加えればそもそも「売る」という行為すら否定されなければならないであろう。なぜなら「売る」という行為は、最低限の競争原理の上に成り立っているもので、競争原理とは、他者との差別化を前提とするもの。公平・中立性原理とは対立軸に存するものであるからである。でもそんなことナンセンスである。今のアンテナショップは、行政体質の悪い部分が前面に出ているような気がして、とても惜しい気がしてしまった。いまやインターネット時代である。私も御多分に洩れず、インターネットを利用して、本とかCD・DVD、食料品・ワインなどを購入している。私は買ったことはないが車だって買える。単にモノを買うならそれでもいい。でもせっかく地元の特産品を地元の人が、地元のために接客を通じて売るんだったら、方言丸出しで、地元ならではのレシピや食べ方なども伝えられたら、買い物の魅力は倍増、何かプライス以上の何か(サムシング)を得られるのではないだろうか。アンテナショップには、そういった現代人が見失いがちな人とのふれあいを通じた空間づくりといった可能性が秘められていると思う。「ノースプレインファーム」の生キャラメルは、開発後、いくつかの航空会社の機内試食からスタートし、これが好評を得て「どさんこプラザ」が第1号直売所となったそうであるが(詳しくは「北海道生活」をご覧あれ。)、なんかせっかくの「元祖」が陰に隠れてしまっているようで、なんかせっかくの生産者の「心意気」がうまく伝えきれていないような気がして、少しく複雑なものを感じた次第である。
  3つ目。やはり芸能人(=マスコミ)の宣伝効果は絶大だなと感じたこと。
  私は雑誌を読むまで、あれが元祖だと思っていた(もしかして私だけが勘違いしているのかと思い、私のゼミ生にも聞いてみたが、当の学生もあれが元祖だと思っていた)。すなわちそれが宣伝のチカラなのだろう。実は小さなものを大きく見せたり、本当の真相から目をそらさせたり。ブームというのは、自然発生的に起こり得るものではなく、一部の者のある種の画策に基づく宣伝テクニックによって生じるものなのだろう。しかしこれは両刃の刃だ。以前、テレビ報道の誤報によって迷惑・損害を被った例は少なからず存在する。つい先日の日本テレビの報道番組「真相報道バンキシャ!」の岐阜県裏金騒動に関する虚偽証言を、裏付け取材を徹底しないままで報道し、社長以下数名の幹部の更迭劇が繰り広げられたのは記憶に未だ新しいところである。フジテレビ系列の「発掘!あるある大事典2」の納豆ダイエットに関する虚偽と誇張、テレビ朝日の「ニューステーション」(現在放映されている「報道STATION」)の前身番組)でも、O157カイワレ誤報とそれに伴った風評被害で自殺者まで出してしまっている。また同番組は、ダイオキシン誤報で所沢産の野菜大暴落という事件も起こしている。このようにマスコミは、われわれの生活を大きく誘導、否、扇動してしまうほどの大きな力を持っており、「第4の権力」と言われる所以はここにある。
  マスコミとは、誇張や虚偽のない、等身大の真実・情報を客観的に伝える、国民の知る権利を保障すべく機能する公共財でなければならない。そしてその視線は常に、反権力に投げかけられていなければならないものである。しかしながらいまや世論とは、文化や歴史観、宗教観、社会通念を前提に自然発生的に形成されるものではなく、マスコミによるある種の主観的情報によって、巧妙に(私はある種の策略さえ感じることがある)誘導・構築されるものなのかもしれない。少しばかり生キャラメルから話が逸れたが、今日の生キャラメルブームは、マスコミが火をつけ、生産者側も、“手作り”を売り文句に生産量を巧妙(たくみ)に操作し、“入手困難”という状況を作り出し、そこにまた集団心理とでもいおうか、「何が何でもゲットしたい」という気持ちを煽る、実にうまく仕立て上げられたシナリオがあるように思えてならない(考えてみると“手作り”と“少量生産”には何らの関連もない。だって年間数十億も売り上げているのなら、大工場を建てて数百人の職人を雇い入れればすむ話であろう。)。そしてこの原稿を書く際に、いくらかの調査をしたが、どうもいま「田中義剛」名義で「生キャラメル」を特許出願しているらしい。特許取得なるかどうかは、行政の専門技術的な判断故、私のような素人が口をはさむべくもないが、ただ、「生キャラメル」は、生チョコ、生ビール、生ハム、生野菜などにもあるように一般名称なのであって、それに特許というのは、あり得るのだろうか(商標法第3条を参照いただきたい)。「○○の生キャラメル」ならまだ話はわかるのだが。あの“正露丸”(常備薬の代名詞、腹痛時の飲むあの苦い薬)ですら、国民に広く認知された一般名称とのこと、商標登録を否定された最高裁判例が昨年下されている。もしこの特許が取れた場合には、巷から類似品がなくなるか、田中がさらに大富豪になるかである。

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