神奈川大学法学部
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法格言集・法学者列伝

「箕作麟祥博士とフランス民法の訳稿」  箕作麟祥は、1846(弘化3)年7月29日、江戸鍛冶橋内の津山藩上屋敷内に生まれました。この年、アメリカ東インド艦隊司令長官ビッドルが浦賀に来航し通商を求めたのをはじめ、フランスインドシナ艦隊やオランダ船が長崎に相次いで入港するなど、時代が開国へ向かって大きく転換する中での誕生でありました。
  麟祥は、優れた翻訳力と西欧近代法の理解によって、徳川幕府や明治政府の外交交渉等の要職に携わる一方で、ナポレオン法典の全訳を手がけ、『仏蘭西法律書』を完成させました。現在私たちが用いている「権利」や「義務」などの法律用語は、元来日本語として存在していたものではなく、明治期にフランスなどの西欧から法律学を積極的に導入した際に、麟祥をはじめ、津田真道、西周らによって翻訳・造語されたものです。この翻訳作業がいかに壮絶なる苦労を伴ったものであったかについては、日本初の近代的国語辞典『言海』の編纂者として知られる国語学者の大槻文彦がつぎのように述べています。「當時、法律學未だ開けず、麟祥君、未だ其學を知らず、註釋書なく、辭書なく、教師なく、難解の文に、非常に苦辛し、我が國人の思想になき事多けれは、例の如く、譯語なきに困却し、漢學者に聞けとも答ふる者なく、新に作れば、さる熟語はなしとて、人は許さず、権利義務の譯語の如きは、支那譯の萬國公法に、『ライト』『オブリゲーション』を譯してありしより取りしかど、其他、動産、不動産、義務相殺、又は未必條件などいふ語等凡そ法律の譯語は、皆麟祥君が困苦して新作せしものにて、殊に、治罪法などいふ語は、苦辛の後に成れるものなりと云ふ」(『箕作麟祥君伝』より)。
  この『仏蘭西法律書』は、わが国の人々に初めて近代法典というものを実物で知らしめたばかりでなく、幕藩体制下の裁判制度から近代的裁判制度への大きな転換期にあって、手探り状態の中で裁判にあたっていた当時の司法官にとって多大な影響を与えました。また自由民権運動家の間においても絶好のテキストとして広く読まれました。
  また麟祥は、法典編纂事業、殊に民法典の編纂に対して多大な貢献をしました。わが国における民法典編纂作業は、かの有名な法典論争に曝されるなど、殊のほか難産でしたが、麟祥は、生涯をかけてこの作業を全うしました。
  他方、麟祥は、上記のような多忙な公務に従事する傍らで、自ら修得した洋学(とりわけ英学や仏学)の教育を通じて、多方面で活躍する有為の人材養成にあたりました。自ら開いた家塾に学ぶ塾生には、法律学のほか、物理学、経済学、地理学、さらには兵書、史伝その他種々の書物を使っていた記録が残っています。また近代法の原理と思想を身につけた法律家を養成するための法学教育にも携わりました。周布公平、岸本辰雄、松本壮一郎、磯野計、呉文聰、大井憲太郎、中江兆民、今村和郎ら、門下生は百数十名を優に超え、日本の近代の幕開けに際し、西欧近代法の受容の道を開くとともに、法律学の基礎を築きました。このように近代に向けて船出するわが国の「学」と「人」を育てた麟祥はまさに、日本における「法律の元祖」(岸本辰雄・名村泰蔵らの言)と評されるに相応しい人物でありました。

※なおこの文章は、吉井蒼生夫「西欧近代法の受容と箕作麟祥」(『「明六雑誌」とその周辺―西洋文化の受容・思想と言語』(御茶ノ水書房 2004年)所収)を範として、法学部情報化推進委員会が略記しました(諸坂)。

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